石製尾張藩鷹場石杭
2~3年前から、うちの母ちゃんと街歩きや山歩きを始めた。
そのおかげか、どんどんアンテナ感度がアップしている。
けさの徒歩通勤の途中、歩き慣れた道の筈だが誠に興味ぶかいものを見つけてしまった。
ようやく涼しくなった。
だから徒歩通勤ルートのバリエーションを増やした。
けさは「地蔵参り暗渠巡りコース(中距離)」で片道約40分。
過去に何度も歩いている。
まず北向き地蔵様にお参りを済ませた。
田無の宿場から北(北向き)へ逃げ、追われて命を絶った遊女を鎮魂するために建立されたとも言われている。
地蔵様の祠の脇から、いつもの暗渠道に入るはずだった。
だが何かを感じた。
おかしいなと思いつつ、何となく北の方へ数十メートルくらい歩いた。
いくら歩いても何もない・・・はずだった。
ふと左に目をやった・・・、いやどうしても左を見たくなった。
変だなあと思いながら、顔を左に向けたことさえはっきりと覚えている。
マンションの花壇の奥、茂った草の向こう側。
古く立派な石碑が5本並んで立っていた。
いきなり現れ、とても驚いた。
そばには西東京市の説明板があった。
「石製尾張藩鷹場標杭」というのが杭の名前。
江戸時代に存在した尾張徳川家の鷹場を囲っていた83本の石杭、そのうち纏まって現存している貴重な5本だった。
以前から「水」(暗渠にされたかつての川や湧き水が湧く場所)を感じる感度が少しずつ上がっていた。
最近は、地蔵様、庚申塚、道祖神、石碑など”石系”の感度も上がり始めてきている。
また昔のように化石掘りに戻ろうか。
良い石に出会えるかもしれない。
もはや弁護士として後世に名を残すことはあり得ない・・・。
だが新種の化石を発見したら、ラテン語で名を残すことができるはず。
決して悪い話ではない。